聖人探し二日目(笑)って事は無いが、なーんも事前に決めてなくても、どうにかなって、2日目はポカラへ飛行機で移動、という事になっていた。
ついでに、チャンドラと山行予定に関して話してたのだが、帰りの飛行機はいつ?と聞かれて、「はて、いつだったっけかぁー?」という状態だったワタクシ。おもむろにバッグから帰りのチケットを取り出してチャンドラに渡したら、「あ、これ、帰りがOpenですよ。」だって。 いやー、知らなかった(笑)ちゅうか、知らなかったら、かなりメンドクサイ事になっていただろう。 なんか、ほっといても回転していくのだな、なーんて思ったのでした。 さて、二日目の朝。早起きな私は時計を持たない。ゲストハウスの部屋にも時計が無い。適当にシャワー浴びて日焼け止め塗って(笑)ロビーへ降りたら、5時50分(笑) うーむ。今さら部屋に戻ってもなー、する事ないもんね。というか気分は街へ!なので、もう出かける事にした。 そうだ!ネットで占い師が参道にタムロしてるという「モンキーテンプル」へ行こう!と思いつき、タクシーに値段交渉して、一路、モンキーテンプルへ。 早朝の清々しいホコリ(笑)にまみれたカトマンズ郊外の山の上のお寺。ガイドブックも無い私は、その意味も知らずに「うーむ、占い師はどこだ?」と辺りをキョロついたけど、それらしい人影も無い。 一応、TAXIを降りて階段を登り、頂上の寺院を目指す。カトマンズ、というかネパールはどこでもそうなんですが、キレイではない。けど、早朝とか午後とか、人々は丹念に掃き掃除をするのである。だから案外、キチンとしている。 インドとの大きな違いは、ココ。「ネパール人は自分の家の前の道路を掃き清める。」のだ。 そういうネパール人の行為に、亡くなった明治生まれの祖母を思い出した。祖母も暇さえあれば、掃き清める人だったのだ。 参道の階段でエクササイズする人、走る人、、、あー、きょうも一日が始まりましたね、というモンキーテンプルを、ぼーっと1周して、すぐ参道を降り始めたワタクシ。イタリアの教会とかだと長時間佇めるのですが、寺や神社には長居の出来ないワタクシ(笑) モンキーテンプルから降りてくると、やっと一般人が参拝に向かう時刻になったらしく、人人人の波が寺院を目指して行進していた。みんな手に花を持っていたり、盲目の人を連れていたり、なんかお祈りが生活の一部・・・そんな感じがした。 繁華街Tamelに戻ると、まだ6時半(笑) なーーんもやってない。でもお腹が空いた。フラっと入ったレストラン。おじさんに、7時になったら食品の配達が来る、そしたら朝食作れるから、7時以降においで、と。 仕方ないので、夜明けのカトマンズをあてもなく、歩く歩く歩く。ガイドブック無い私は、当然、地図だって無い(笑) ここでも、街の人々が熱心に掃き掃除をするのを目撃する。 いい加減疲れた頃、同じレストランに辿り着く。時計を持たない私は店に入って、初めて7時15分、と知る。45分のウォーキング!いいじゃないの。 パンを食べない私はトーストも食べない。店内を見ると、メニューが壁に貼ってあった。私は「モモスープ」を注文(^^)だって美味しいんだもん。 ネパールの朝食メニューには、必ず「スイス・ブレクファスト」ちゅうのがあったなあ。そう言えば。何がスイスなのか良くわかんなかったけど。 その店の朝陽が差し込む奥の席に、一人の女性が静かに座って読書していた。私はその近くに座り、手帳にメモを書いてお店の人と世間話をしていた。 そしてその女性も世間話に参加し、どうせなら一緒に朝食を頂きましょう、という事で彼女のテーブルに同席した。 フツー、私はこういうシチュエーションで無言のままだし、「意気投合」とかも無い(笑)のだが、何も決めてない、考えてない、先入観の無いネパールの旅は、私をとても「大胆」にしていた。 彼女はフランスはシャモニーで「エマジェンシー高山病医者」として働いてるそうだ。山好きな人らしく、ネパールも12年前に初めて訪問してから、トータルで6ヶ月にるという。 エベレストにも8合目辺りまで登山したそうだが、パーティのメンバーが具合悪くなって下山した、とか。いずれエベレスト無酸素登庁を目指す、と。多分、フランス人女性初だと思うわ、と。そんな彼女は「日本人女性では既に無酸素で登頂した女性がいるわね。」と。 うーん、それって「登山家」じゃないの?と私は思った。 しかし彼女は言う。健康で若い間しか登山は出来ないから、医師の仕事は続けていく、と。できればネパールの秘境辺りに、フランス政府から派遣してくれないかなーと言っていた。そうすれば、「フィールドリサーチ」と銘打って、365日山に触れられる、と。そう、彼女の専門は「高山病」なんである。今はフランスのシャモニー近辺で救急医療センターで働いているそうだ。 しかし、高山病のケースでは病院に運ばれて来た時点で亡くなっているケースが多いという。 高地に対応できる肉体とそうでない肉体の違いは、単に「そういう体質」といか言い様が無い、と彼女は言う。それと、アタマを指差して、「マインド」だと。だいたいマインドのプログラムではないかと言っていた。そんな彼女は全く問題が無く、順応しまくり、だそうだ。 地上(里、というのか)で素晴らしいアスリートで運動選手であっても高地順応が上手くいくとは限らないそうだ。 何だか私がインタビュアー、そして彼女が答える人という図式になっていた。そこで私は(私は結構誰にでもこの質問をするけど)、山登りを始めた動機、を聞いてみた。少し躊躇した彼女は、「18才の頃、受験に失敗してね。医学学校に行けないと分かって、死んでしまいたくなったの。」とはにかんで言う。「後で試験には落ちてない事は分かったけどね。それまで人生に絶望して、もう死んでしまおうと決めたの。で、最後の最後に、何か『自分へいいこと』しようと思って、モンブランに登ったの。それが私の人生を変えてしまったわ。」と。 聞けば2年前に山で事故(山で事故といえば大体が転落)に会い、腰を強打しもう山登りは諦め様と思ったそうだ。しかし、山の無い生活は本当に退屈で退屈で仕方がないという。 調子も良くなったし、また登山に戻ろうと、今回は3週間の行程(この辺が欧米人の凄いとこ)で、アンナプルナ一周を計画したそうだ。これは復活第一弾なので様子見なんだそうで。彼女くらいの登山家になるとトレッキングなんちゅうのは、公園の散歩みたいね。 その後も彼女の47日間のネパール北部の山行とか、エベレストの経験とか、あれこれ話していた。そして彼女はガイドブックを開いて、「カトマンズにいるならココへ行かないと。絶対に行くべきよ。」と昨日アップしたチベット密教寺院を教えてくれた。 小柄でキュートで元気そうな彼女。多分、まだアンナプルナのどこかを歩いている事だろう。彼女に出会って山の話を聞いていると、なんだか不思議に懐かしい気分になってきたのであった。予定の時間を大幅に過ぎた、といいつつ惜しみながら彼女は出て行った。「なんて素敵な女性なの。」と思わずにいられないような人であった。 Pやドイツ人と来てカップルだったら絶対に声をかけなかっただろう。朝食を終えると、チャンドラの手配した車とガイドでフランス人のお勧めの寺院へ向かったのであった。
by almarai
| 2005-06-08 19:46
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