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日々の暮らしそのものが、カイラスへの道

唐突にやって来た「マウント・カイラス」。 時間があればせっせと情報収集に余念が無いワタクシ。
ネパールのアンナプルナ5日間のトレッキングを何の準備も無く、前晩も痛飲してイキナリ山に入ったのですが、あれは初心者用コースではなかった模様。高度にしても3千メートル以下なので、ハイキング気分だったけど、何の準備も無く、海抜ゼロメートル地帯で生活し、普段全く歩かない生活してる身としては、案外、いい線いってるかも?と自画自賛するのであった(^^)

検索したネットにもが書いてあったが、日本人、準備好き?(笑)カトマンズの空港でラサ行きのカウンターに並んでる欧米人は、なんかビーチにでも行くようなカジュアルは風情で、肥満度が高かったりで、そんなんでチベット大丈夫?って感じの人々なんだそうだ。
私がカトマンズで会ったフランス人女性医師も「エベレスト無酸素登頂」を目指す、普通の人、だったもんなー。

カイラス巡礼をした日本人一行。準備期間1年。カイラスの高度を考慮した低酸素の環境下で、自転車を漕ぐ、とかいう「訓練」を繰返したそうだ。そして日本出発前に富士登山をして、日の出に旅の無事を祈願し、滝行までして「禊」も済ましたそうだ。。。まあ、人によって旅の目的や意図が違うので、それもアリかとは思いますが・・・・凄いなあ(笑)

私は、とりあえずヨガを頑張って、粗食継続して、仕事をコツコツと続けて・・・。そうです。このままの日々が、カイラス巡礼へと続く道なのでございます。
何も特別な事をする必要は、無いのであるなあーと、しみじみと実感。

先日、会社の社宅が新しくなり、引越し終了した友人Mが新居に呼んでくれた。その引越し祝いギフトに、ダイソーで写真立てを買った。ついでに自分にもいくつか買い込んでみた。写真立てなんか買うの何年ぶり?という感じ。

母が亡くなり数年経過するが、「フレーム買って来て写真飾らなくちゃ。」と思い、そのままになっていたのである。やっと今回、その念願も果たし(笑)、母の写真も飾り、いくつかあった自分の写真も飾ってみた。
「ココはテンポラリーですぐ再婚して引っ越すから。」と自分を呪縛していた(爆)ので、家はシンプルで、ホントにテンポラリーな感じだったのである。意識が現実になる、という見本みたいな家(笑)

私はカイラスへの道も、この「わたしの家」も同質であると悟ったのであった(笑) いや正確には、「カイラス!」というマントラが降って来る前に、引っ越してから手をつけていなかったバルコニーのモノを全部捨てる、という快挙を成し遂げていたのである。

かなりなモノを捨てた。どんどん、どんどん、捨てた。そしたら、「カイラス!」が唐突に降って沸いたのであった。宇宙の法則通り?かなー。

家は普段から片ずいている。が、台所の奥深くに眠る日本食があったり、習慣で印刷してるネットの情報の山とか、そういう「不要」なものが見えない所にイッパイあった。それを、捨てたら、家の中が輝き出しました(^^)
私の意識の変化、でこんなにも違う家。なかなかの体験、でありますね。

週末の満月の夜のメディテーション。今回は「過去回帰」をテーマにしたものだった。5年前、10年前、20年前の自分に会いに行く、という瞑想。当然、出てきた「私」は、今の私自身が共鳴する部分を持った「わたし」でした。
5歳の自分に、10歳の自分に、今の私自身が抱えている「目の前の壁」を見たのでした。
で、思った。なーんだ、人ってなかなか変わらないもんじゃーん?と。

推命でもそう出るのですが、私の「命式」によると、私の人生のゴールデンタイムは7歳まで(爆) 残りの人生は・・・オマケ?
確かにある意味、恵まれていたかも知れない。が、今思うとゴールデンタイムの渦中の私は、何でも手に入る人生が「退屈」だったのだ(笑)
でも子供なので、「Who I am?」とかいう究極のクエスチョンまでには、思いが深く無かったんである。ただ、「こうじゃない。」という焦燥感みたいのを、ずーっと抱えていたなあ。

そうね。ずーっと自分自身と、根源の自分が乖離していたのだと思う。その「差」というか溝をどこかで知覚、自覚していたのであるなあ。長い事。
「自分自身を受け入れる」という発想も無かったしで。

そしてカイラス。
こんなにも、「私自身」と共鳴した事は無かったかも知れない。ワクワクするような高揚感は無いけれど、やっと見つけたぞ、という安心感が「カイラス」という言葉に象徴されるのであった。
by almarai | 2005-08-21 17:37 | 修行日記
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